2008年03月30日

不立文字

言葉や文字ではあらわせない心がある。


「今から死のうと考えていた若者に、おばあちゃんは
無言でオムスビを差し出した。
おばあちゃんが一生懸命心を込めてむすんだオムスビ…。
一口食べた若者は、そのオムスビに込められていた
おばあちゃんの愛に触れ号泣する…。
そのオムスビは、彼に生きる勇気と希望を与えた。」

初女さん.jpg

私が憧れている、イスキア・佐藤初女さんのオムスビのお話…。

宮崎駿の映画、「千と千尋の神隠し」にも同じようなシーンがある。
映画をみた子供たちは、千尋が泣きながら食べたオムスビに
強烈な印象を抱くそうだ。

私は、そんなオムスビをむすべる人になりたい…。


声を失った父は、亡くなるまでの数年間、言葉を発する
事ができなかった。
最後は文字すら書けない状態の中で、
失ってはいけない大切な「心」を私に遺してくれた。
それは父の愛だったのかもしれない。


言葉は大切。

でも、
言葉や文字ではあらせない心もある。




posted by まき at 19:47| 宮城 ☁| Comment(0) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月27日

為虎添翼

為虎添翼 (いこてんよく)


虎に翼をつけたら、かなうものはいない。


虎


私は虎ではなく、誰かの翼でいたい。
posted by まき at 23:26| 宮城 ☀| Comment(1) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月23日

くもり

先日は、満月でした。
陰陽のバランスがととのう、春分の日直後の満月。

3月の満月.jpg

雲ひとつない、澄んだ夜空の満月はとても美しいものでした。
場所は変わっても、月や太陽は平等に私たちを照らし
愛と恵みを与えてくれます。
くもりなき、澄んだ空だからこそ月の美しさや愛を感じる
ことができる。
それは、人の心と似ているな…と思いました。


愛されているのに、心がくもっているから気がつかない。
信じられない。



くもりとは、迷いや不安・執着・猜疑心 というような感情。


天孫降臨の時に、天照大神から授けられたという三種の神器の
中の剣は、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)と呼ばれています。
それは、スサノオが、出雲国で倒した八岐大蛇の尾から出てきた太刀。
天叢雲という名前は、ヤマタノオロチの頭上に常に叢雲が掛かって
いたためなのだとか…。
日本神話からも、曇り(くもり)は邪念であることがわかります。


前に進もうとすると、覆いかぶさる雲が現れる…。
その雲で、気が晴れません。



密教では指で刀にみたてた印を結び、邪を斬ります。
三種の神器の剣は男性(陽)、鏡は女性(陰)の象徴。
鏡が私たちの心だとしたら、邪念でくもった心では
神なる愛を感じることはできません。
愛を感じれる心であるために、くもり=邪念を斬る。

神示とされるもの、神話などは人の心の状態によって
何通り・何百通りの見方ができます。
読み手が感じるものであり、何が真実かなんて
断言できるものではありませんが…。


愛を感じる事ができる、澄んだ心であるために
くもりを断ち切りたいです。



不動の剣.jpg
善光寺 不動の剣















posted by まき at 17:36| 宮城 ☁| Comment(4) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年03月22日

弥勒菩薩のこころ

広島を出る前に、「いつかお会いしたい方」
http://mirokumusubi.seesaa.net/article/60564113.html
ガユーナ・セアロにお目にかかりました。
このタイミングでお会いするようになっていたのでしょう。
何も語らなくても、僧は私のことを知っていました。

「かっこつけるな。かっこ悪くていいんだよ」


私の全てをお見通しでした。


素直に生きようとすると、まわりを傷つけてしまう。
自分が志したこと、正しいと思えることは
はたからみたら、ただの我儘にみえるかもしれません。
正しい道とは何なのか…。



迷いを生じていた私へ、ガユーナ・セアロは


自分を抱きしめろ
            正しい道は、楽しい。



という言葉を、残して下さりました。
自分自身を大切にしたこと、抱きしめてあげたことが
あったかな……  
なかったかもしれない。
強くなろう頑張ろうばかりで、突っ走ってきたような。。。
本当は、強くないのに強くみせようとしている自分がいた。
かっこ悪くなりたくない。
ただ、弱さを隠したかっただけかもしれません。


慈悲なる心でいたい。


慈悲とは
楽をあたえ「慈」  苦を抜く「悲」
抜苦与楽とも言います。

そして、
痛みを共感し、真実のしあわせを
わがこととして願い求めて行く心でもある。


昨年の夏、弥勒菩薩の「慈悲の心」とは一体どんな心
なのだろうと理解できずにいた私は、慈悲なる言葉を
ガユーナ・セアロの本で目にしました。
未来を救済するといわれている弥勒菩薩は、衆生を
慈悲なる心で救う菩薩です。
その心が、私たちを救い正しい道に導いてくれるの
ではないでしょうか。

末法思想からくる、弥勒の世は終わりなき始まり。
弥勒の世の入り口に、今、私たちは立たされています。

どう生きるかは、その人次第。


今日、とても大切な事を思い出しました。
私の原点を見失わず、自分を信じ動いていきます。







































posted by まき at 03:33| 宮城 ☀| Comment(1) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月13日

美しさ

損得   善悪  

            光と闇   白と黒


常にどちらか、ジャッジしながら生きようとするからつかれる。

全てを受け入れること。

「善いか悪いかではない。正しいと思えることをやり尽せ」

迷いを感じていた頃の私に、友人がくれた言葉です。
この言葉に、どんなに救われたことか…。


善いことをしていると思ったら、同時に悪いこともつくってしまう


究極の教えだと思いました。


古来の日本人は『』の心を大切にしてきました。
善いか悪いかではなく、人間としていかに美しく生きるか…
という日本人ならではの感覚。


「自然はこの世に不必要なものは何も作っていない。
 すべてのものは美しいのが本当の姿」


「調和がとれていれば、すべてのものは美しく存在し
             その姿そのものが本当の美しさ」                 



マクロビオティック・中美恵先生の言葉です。
美しさを、こう表現できる先生は素敵だと思いました。


自然と調和し、存在する全てが美しくあること

それが本当の美しさなのだと思っています。











posted by まき at 23:21| 広島 ☀| Comment(5) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月24日

精霊写真

画像 196.jpg

先週末は、氏神の秋祭りで神楽をみてきました。

神楽「かぐら」の語源は、神座(かむくら・かみくら)
が転じたものとする説が一般的だそうです。
神座は神の宿るところを意味し、そこでの歌舞が神楽
と呼ばれるようになったと考えられています。
古事記および日本書紀においては、岩戸隠れの段で
アメノウズメが神がかりして舞ったという神話が
神楽の起源であるとされ、神楽の元々の形は鎮魂・
魂振に伴う神遊びであったと考えられます。

上の画像は、天の岩戸開きの舞。神話をある程度理解
していると、また観方が変わり楽しい。

この画像を処理しているときに気づいたのですが…
精霊(オーブ)がたくさん映りこんでいました!!
はじめて撮ったのでビックリっ。西光寺の壇上和尚に
見せていただく写真のオーブと同じ、丸の中に渦がある
ものでした。こんなに大きく写ってくれるとは驚き。
精霊も一緒に楽しんでいたのかなかわいい




posted by まき at 14:38| 広島 ☀| Comment(6) | TrackBack(0) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月14日

般若心経

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10代のころから、般若心経にふれる機会が多かったのですが
ここ数日般若心経について、また深く感じるところがありました。
般若心経は「空」を説く教えです。
私の好きな言葉は、「色即是空 空即是色」。
意味は、一切の形あるものが、そのままでありながら
なにもない。なにもないことが、そのまま形あるものを
現している。    
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私たちの存在も、すなわち「空」。私たちの苦しみや
悩みさえも本来ないもの…。全て自分自身がつくり出して
いるものです。空を感じる境地まで、いきつきたいものですね〜ぴかぴか(新しい)

生きて死ぬ智慧」は私の好きな般若心経の本です。
色んな解説本がありますが、この方の本は、素晴らしいかわいい
題名の生きて死ぬ智慧という言葉も、空をうまく表現しているな
ぁと思っています。
サンスクリット語の般若心経にも関心があるので、今後はより深く
般若心経とお付き合いしていきたいです。



  
posted by まき at 18:42| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月11日

生き抜く

5月に父を亡くしました。

20年という…本当に長かった、壮絶な闘病生活を経て
生き抜いた父を、私は誇りに思っています。
その生涯をかけて、父は私や弟たちに親として大切
なことを教えてくれました。
「病」とは何か…?
何故病になるのか…。
父の闘病生活の中で私たちが体験したこと、思い感じて
きたことをこれからの人生にいかしていけたらと思います。


西光寺の壇上和尚が、一人でも多くの自殺者を救いたいと
いう願いから新しい活動を始められます。
私も、その活動に微力ながらお手伝いをさせていただく
つもりでいます。何ができるかはわかりませんが、今
私ができることをやってみたい。
一人ひとりの持って生まれてきている、限りない可能性の
芽を伸ばすお手伝いができたら、とても幸せに思います。


子供の頃から私は父の病気を通して、躁鬱の状態の
人を間近でみてきました。
急に怒ったり、支離滅裂になって泣き叫ぶ父が嫌でいやで
半家出状態の時期もありました。
子供だったときは「何でこんな家庭に生まれたのだろう」
と父を憎み、それが最近までの劣等感となっていました。
この苦しみは、経験した人にしかわからないと思うし
本当に綺麗事では語れません。


苦しみながらも、父は最期まで生き抜きました。
父の死に直面して「よく頑張ったね。やっと楽になれたんだね」
と悲しさより安堵感の方が先にたちました。
家族全員が、共に父の病気と闘い続けてきたので…
苦しみからやっと解放された日でもありました。
父を亡くして悲しいはずなのに、変な達成感があり清々しくも
感じ。。。

この感覚を味わえたのは、父が最期まで生き抜いてくれた
からです。あまりにも苦しくて、きっと父は何回も死にたいと
思っていたことでしょう。。。
もし、父が自ら命を絶っていたら…
私たち家族は、一生苦しみを抱えることになったと思います。
そうして死んだ父の苦しみも、消えることなく残るのだと思う。


生と死を通して、学び得ることは本当に大きいものです。
人間は弱い生き物かもしれませんが、真の強さや心の豊かさ
生きる喜びは自分でつくり上げていくもの。
今、苦しくても終わりのない苦しみなんてない。
人間は誰もが幸せになるように決まって生まれてくるの
だから、その人の心次第なのだと思います。


どんなに辛いことがあっても、自分の可能性を否定せず
信じて欲しい。
自ら命を絶つなんて…悲しすぎることはやめてもらいたい
と心から願っています。








posted by まき at 06:12| 広島 ☀| Comment(4) | TrackBack(0) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月05日

友人の勇気

いつも、私の転換期に力を貸してくれる大切な友人がいて
イベントや、カフェを共にしてきました。
友人は今妊娠していて、来月に出産を控えています。

私は、その友人からとても大切な事を学んできました。
自分がまだ幼すぎて、友人に辛いことも言った時があり
ましたが…今は友人の気持ちや、思いが痛いほどわかり
ます。

友人は自宅出産を希望し、助産師さんを頼んでいたの
ですが妊娠初期に子宮にポリープがあるのがわかってから
まわりの環境が変わってきました。

ポリープがあり出産時の出血の心配があるということで、
助産師の勧めで医師の診断を受けたそうですが、
無難に切ることを勧められたそうです。

現代医学(西洋医学)では、おもてに表れたものをすぐ
排除したり押さえつける傾向がありその原因を深く教えません。
元から直そうとする力や可能性を潰してしまう恐れもあります…。

薬を飲んだり、除去することは本来とても不自然なことで
本当の意味では何の解決にもならない。
それは、私自身の病気を通して、20年間大病で苦しみながら
死んでいった父の姿を通し感じてきたもので、現代医学に
ついては思うところが多々あり…。
何より、他人に自分の命をゆだねない事が大切なのだと
実感しています。


最近になって、友人からお願いしていた助産師さんに
出産の手伝いを断られたと聞きました。
ポリープを切らないのであれば、出産のお手伝いをする
ことは難しい…と。
責任問題も絡んでくるのでしょうね。
友人は、ただ自分を信じて自然に子供を生みたいだけなのに
ポリープがあるだけで、こんなにも対応が変わってくるのか
と正直驚きました。ショックでした。


ポリープは、そんなに危険なのか…。何か意味があるから
出来たのであって、命に別状がないのであればそのポリープ
を持ちながらも出産は可能なんじゃないか。
何にでも言えることですが、悪いものをすぐ除去するのでは
なく、それを抱きながら解決していく道の方が私は自然でいて
智慧を学ぶ大切な道のりだと思います。


何でもすぐ人にゆだね、除去するから智慧も養えない。
社会的には常識人といわれる、社会的概念にそった今の日本人
の感覚の方が私はよっぽど危険だと思う。自然のエネルギーに
反した超不自然な「型」ですよね。


友人は、自分の直感と自然の力に身をゆだね、自宅で一人で
出産することを選びました。
自分の直感が一番あたることは、私も色々な経験をしてきて
わかっています。友人は、直感力に優れた人なのでポリープ
をとらなくても大丈夫だとわかっているからとらないのだと
納得しました。もし、危険なら自身でわかるはずです。


私は、自分を信じてどんな困難も乗り越えていく友人の
強さに触れ、たくさんの勇気をもらいました。
まわりの人は、心配をあおるのではなく彼女を信じて
尊重する優しさをもって欲しい…。
本当の優しさは、言葉では表現できません。見守る優しさ
も大切ですよね。


今の社会的な流れや常識に、改めて反発感を覚えました。
彼女には本当に今まで助けてもらっているし、応援したい。
私にできることは何でもしてあげたいんです。
必要であれば、出産の補助・お手当てが必要であればその為に
勉強したいとも思います。


友人の思いは間違ってないと思うし、他人がそれに対して
あぁだこうだいうのは、ちょっと違うと思う。
その人の概念や世界観の押し付けですよね。心配なのは
わかるけど…。でも、友人を信じてあげたい。


友人の強さを尊敬し、きっと彼女の選択はこれからの現実
を動かしていく力になると信じています。

無事出産することを心から願い、祈っています。





posted by まき at 04:03| 広島 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月03日

やさしくなりたい

先月知人の勉強会で、大石順教という尼さんの話を聴きました。
16歳のときに、狂った義父が同じ屋根に住む人々を次々と殺し
順教は生き延びたものの、両腕を切り落とされた…という話から
はじまり、その後の人生模様は本当に壮絶で「こんな人生がある
ものか…」と本当にショックを受けました。
そして、順教のその壮絶な生き方から特別な勇気をもらい、
私の抱えている悩みなんてちっぽけすぎて情けなくもなりました。

私の課題は、無償の愛を学ぶことです。私だけでなく、人は誰
もがこの愛を学ぶために生まれてきているのだと思います。
私は、身近な家族との関係にかなり前から悩んでいて感情を
思いっきりぶつけられたり、怒りの捌け口になるのが本当に
嫌で辛いと感じてきました。その怒りのエネルギーで受ける氣の
ダメージは大きくて、それが溜まって私も爆発してしまう。
その悪循環がとても嫌でした。

ご縁ある方に、それは自身を強くする修練だと言われ、これから
の私には必要な学びなのだと教わりました。
「許すこと」「それを包み込む優しさをもつこと」
怒りを怒りで返し、それを排除するのではなくそのエネルギーを
別のエネルギーに変える事が大切なのだと。
合気道をされている方には、構えて戦うのではなく笑顔で受け止
めた時の力の方が強いこと、禅寺の和尚からも同じように怒りさえ
も抱き込む寛容なこころが大切なのだと教わりました。

強くなろう!!と決心はしても、理不尽な怒りを受けた場合は
自分の感情もかなり乱れますし、本当の優しさとはどのような
ものなのかもまだ理解できていません。
尊敬する方から、思いやりとは「重い槍」なのだと教えていただき
本当にその人のことを思いやった態度で、やさしさを表現できたら
と感じています。今までは、ただ自分が我慢すればいいと思って
きたのですがそれは本当の優しさではない。自分も傷ついて、
相手も成長できずにいるのだと気付きました。

本当の優しさや、無償の愛は言葉で言うのは簡単ですが本当に
難しい。一生かかって学び、死んでからもまた学び繰り返すの
だと思います。


大石順教のことば「怒りは無知で、泣くは修行、笑うは悟り」
この言葉にいつも助けられています。
自分の怒りが爆発しそうになったときに「怒りは無知…」という
言葉が頭をよぎるようになりました。以前は、怒りの感情が強く
出ていましたが今はただ悲しくなり泣くことが多いです(笑)
これを越えたら、笑いという悟りが待っているのでしょうか。

本当のやさしさとは…本当の平和とは何か…
長い間、病と闘い苦しみながら死んでいった父や、それを支えた
母や家族を通し色々な体験をしてきました。一時は、自分の環境
が嫌で嫌で仕方なくて、それが劣等感となり自分自身さえも好き
になれずにいました。
でも、「愛」について考えさせられる場や学びの場を、小さい
ころから与えられていた気がするので愛を学んでいく成長過程に
おいては、私はある意味幸せな人なのかもしれません。
無償の愛の学びの場を、いつでも身近な人に与えてもらえている
のですから…。逃げたり、その環境を壊す行為は簡単です。
ただそれでは成長はできません。

困難なく波もなく、温室のような中で育った環境では見えない
世界がたくさんあるかもしれません。愛に溢れた人間は、
たくさんの痛みを経験していると思いますし、だからこそ本当に
やさしくなれるのだと思います。

全てを包み込む優しさと強さをもった、人間になることが
私の夢です。死ぬまでどの位成長できるか…、愛の学びには
終わりはないですね***







posted by まき at 01:11| 広島 ☁| Comment(4) | TrackBack(0) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年10月01日

音霊

? 141.jpg


音にも霊が宿っている。
昔の人々は、全てのものに霊力があることを
知っていました。

今年の夏は、風鈴の音にたくさん癒されました。
吹く風によって、かなり音色が変わりますし
音域の違う風鈴が2つあるので、その時々の音を
楽しめます。広島市内在住ですが、近くに竹林と
水路があるので春はウグイス・夏は蝉や蛙・
秋は鈴虫などの鳥や虫たちの鳴き声にも癒されて
います。
自然の音って、本当に素晴らしいと思います。
川のせせらぎや、風に揺れる木々のささやきなど
本当に癒されますよね***

このブログを作成している途中に、友人からTELがあり
「風自然」という言葉をいただきました。
私が、風のことを書いていたところだったので何か
共鳴したんでしょうね。「風のように動いてね」
というアドバイスでした。直感で激しく動くタイプなの
で、友人なりに私のことを気遣ってくれた優しい言葉でした。
本当にありがとう。

風のように優しく、時に嵐のように激しく(笑)自分の
心のままに私の風を感じて生きていけたらと思います。
そして、その時奏でる音色を楽しみたいです。



posted by まき at 17:52| 広島 ☀| Comment(2) | TrackBack(0) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年09月18日

よろしくお願いします

今日から、このブログを公開しました。

私は、古代人がもっていた生活の智慧と霊性について
とても関心があり、それはこれからの私たちが取り戻して
いかなければならないものだと感じています。
色々なことを、追究していくうちに縄文時代の人々の
暮らしと生き方、思想に関心をもつようになりました。
どんなものを食べて、どんな言葉を話し感じていたか…。
大和言葉といわれている、日本語の源語には一語一語色んな
意味が含まれていて、言葉自体が一つの霊的なエネルギー
となっています。

現代の気候は、縄文時代ととても似ているそうで
縄文期も、地球温暖化で大きな変動があったようです。
しかし、現代の温暖化は、私たちの行いも関係しています。
壮大な宇宙エネルギーの変化で変わっていくことは仕方がない
ことですが、私たちの行いでも、変えていける現実は多々あります。
自然への回帰、共存。創造と再生などをテーマに私の思いを
言葉にしていきたいと思います。

霊感とは、霊が見えるというだけのことではありません。
天から受け取る、直感力でもあるし自然の声がきこえるこころ
だとも思っています。
全てのものに命があって、究極それは一つ。
私はあなたであるし、あなたは私である。人間も自然も地球も
本来は一つです。何かが狂えば全てが狂う。私たちは、一人で
生きているのではありません。


人間としての在り方、自分はどう在りたいか…自分の内なる
の声を信じて動き、生活をまた見直したいと思っています。





posted by まき at 11:06| 広島 🌁| Comment(4) | TrackBack(0) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月14日

ご縁あるあなたへ

当ブログをご覧頂きまして、誠にありがとうございますぴかぴか(新しい)

みろくむすびは「食」「環境」「霊性」をテーマに、
そこから見えてくる世界を皆さんと一緒に考えいく
場にしていきたいと思っています。


異常気象などで、皆さんはうすうす感じていると思いますが
地球自体のエネルギーが変わってきています。
私たちは、共に生きるはずの自然を壊しすぎました。
これからは、創造と再生の時代です。
私たち一人ひとりの、行いが未来を左右していきます。

未来を救済するといわれている、弥勒菩薩の慈悲の心
日本古来のむすびの思想を取り入れ、私たちが素晴らしい
未来をつくっていけるようにと願い、「みろくむすび」
と名づけました。

まだまだ勉強中の身ですが、私が日々感じていることや
普通の主婦の私が行っている、小さな活動日記を書いて
私たちは、何でも出来るんだ。意味がないことなんて
ないんだということを知って勇気をもっていただけたらと
思います。

皆に、注目されるような大きなアクションだけが素晴らしい
事でもない。誰もみていないところで、自分が正しいと思える
ことをコツコツとやっていくことから始めましょう。
その心がけが、ご縁をむすんでいきますから***

これからもよろしくお願い致します。



posted by まき at 01:33| 広島 ☁| Comment(2) | TrackBack(0) | 霊・こころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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